第一章 黒沢ゆうこ 4. 山荘を出た松本は、ふもとまで降りて市街地へハンドルを切ると、最初に見つけたファミリーレストランに入り、休息を取ることにした。山荘から1キロくらいは路面も舗装されておらず、照明もない。そこを過ぎれば舗装した道に出るが、外灯はやはりほとんどない。そんなところをヘッドライトだけを頼りに運転するのはやはり神経を使う。 新宿西口にそびえるオフィスビル群。その中でもそのユニークな外観が異彩を放つ新宿住金ビル、通称住金三角ビルと呼ばれるそのビルの四十階に本社事務所を構える食品チェーン店運営会社、YKコーポレーションの社長室。 松本自身、ゆうこもそうだが美菜子にしても本人に恨みがあるわけではない。松本の狙いは芸能プロダクション、ティップなのだ。 「お客様、恐れ入ります」
「フーッ」
コーヒーを一口飲み、煙草に火を付ける。肺に満たした紫煙を吐き出しすとようやく一心地着いた気がした。
後十日か、長いようで短いだろうな.....。
松本はジャケットの内ポケットから取り出した手帳を開いた。そこには雑誌の切り抜きらしい写真が挟んであった。満面の笑顔で、ポーズを取る水着姿の少女である。
その写真の少女は小向美菜子。デビュー以来、親しみやすい笑顔と十五歳という年齢に似合わぬグラマラスな肢体が話題を呼び、今やあちこちの雑誌で引っ張りだこの、ブレイク真っ最中のグラビアアイドルである。
俺には後二人残されているが、こいつは三人共通のターゲットだからな。
松本は呟いた。
再び煙を吸い込みながら、松本は今朝の事を思い出していた。
その代表取締役、近藤雄司と机を挟んで、松本は緊張した面もちで近藤が自分が渡した資料に目を通すのを見つめていた。
近藤は四十九歳。黒々とした髪をポマードでオールバックに固め、太い眉に、威光鋭い目と野心的な実業家のイメージそのものだ。仕事の合間にはエグゼクティブ御用達のフィットネスクラブに通い、ワークアウトに励んでいる事もあって、引き締まった若々しい肉体を保っている。
「なかなか好調みたいだな」
分厚い資料を最後まで見終わると、近藤はポツリと言った。
その言葉に松本の顔にようやく笑みが浮かぶ。
松本が社長を務めるインターマーケッティングは、YKコーポレーション100%出資の子会社で、YKコーポレーション運営する店舗の中でも、その戦略上重要な位置にある店の管理を任されていた。別会社という形を取ってはいたが、実質松本はYKコーポレーションのナンバー2であり、近藤の忠実な補佐役と言えた。
普段は一日中店舗を回っており、近藤と顔を合わすことはまずないのだが、月初の五日だけは業務報告のため来ることになっていた。
「そういえばいかがでしたか、例の子は」
報告を終えた松本はリラックスした表情になり、コーヒーをすすりながら訪ねた。
「ああ、別にどうということのない女だったな」
「お気に召しませんでしたか、現役の女子高校生タレントと言うことでしたが」
近藤の気のなさそうな反応は松本には意外だった。
「今時女子高生といったら大人の女性と大して変わらんよ。あのレベルならうちのホステスの中にもおる」
近藤はカップに半分ほど残っていたコーヒーを一気に飲み干すと続けた。
「男も知っておったしな。最初のうちは抵抗されたが、すぐにヨガりはじめた」
最初は泣きながら抵抗していたのに、次第に甘い声を漏らし始め、結合して上にしてやったら、自分から腰を使って悶えていたゆうこの姿を思い起こした。
「まあ、素人だし若かったから多少は楽しめたがな」
松本のがっかりしたような表情に気づいたのか、近藤は取り繕うように続けた。
「社長もやはり処女の方がお好きですか」
「うーん、時にはいいが処女ってのは犯す楽しみだけだからな。お前の方こそ処女マニアじゃないのか」
「処女マニアってのはちょっと響きが良くないですがね」
松本は苦笑いして言った。
「処女膜を破る時に女が見せるあの表情、あれがたまらんですね。加虐心が掻き立てられますよ」
「確かにそれはある、しかしまあ何にせよ」
近藤は葉巻を取り出すと火を付けた。普段は殆ど吸わないのだが朝のコーヒーの時間だけは、コーヒーを楽しみながら葉巻の煙をくゆらすのが日課であった。
「私にとってはあの女はあくまでついでだ。お前の心遣いはありがたいがな。それでその肝心のこいつの件だが」
近藤は引き出しを開けると雑誌を取り出した。
「この子の件はどうだ、少しは目処が付いたのか」
近藤は雑誌を開くと松本に突きつけるように差し出した。それは美菜子の水着のグラビアページだった。
「ようやくめどが立ちまして、再来週には何とか出来るかと」
「そうか、ようやくか、随分とかかったもんだな」
近藤の声には明らかに皮肉めいた響きがこもっていた。
「お待たせして申し訳ありません。しかし相手は一般市民とは少し違いますからね。下手に動いてマスコミにでも嗅ぎ付けられたら会社の経営にも差し支えます」
「タレントだかアイドルだか知らないが、あの小娘のせいでうちは俺は無二の親友をなくしたんだ!一泡吹かせんと俺の気が収まらん」
雑誌を持つ近藤の手が震え、顔に赤みが差していく。
「分かっております。社長と理由は少し違いますが、私にも胸に秘めるものはあるのですから」
「そうか、お前はこの子だけという訳にはいかんのだったな」
近藤は言うと雑誌を引き出しに締まった。表情もいくらか落ち着いている。
「今回世話して貰った女...黒沢ゆうこと言ったか」
近藤は葉巻をもみ消すとおもむろに口を開いた。
「はい」
「お前もやって来たらどうだ」
「しかし、この後まだ仕事が.....」
松本も近藤に負けず劣らずの女好きである。ありがたい話だが仕事もあるし、東京からだと道が空いていても片道二時間以上かかる所だ。
「数字は出てるし、店舗の見回りくらいだろう。うちの管理部門に話をしておく。明日の昼までに戻ってくればいい。それだけあれば充分だろう」
「分かりました。お言葉に甘えさせて頂きます」
「女は久しぶりだろう。褒美と思って楽しんでこい」
美菜子に対する計画の日取りが決まったせいもあってか近藤は先ほどの怒りの顔が嘘のように相好を崩していた。
「ご厚意、感謝します。では早速」
松本は深々と一礼すると社長室を後にした。
もともとティップは松本と、旧知の友人だった今の社長である近江明が共同で立ち上げた事務所だった。しかし事務所の方向性を巡って間もなく二人は対立し、資金の殆どを拠出していた近江に、松本は殆ど追い出されるような形で袂を分かつことになった。
その後松本も芸能事務所を立ち上げようとしたがうまくいかず、その後色々な職を転々とする事になる。しかしどれも長続きせず、ひょんな事がきっかけで裏の世界に足を踏み入れることとなる。
不思議なものでどんな仕事も長続きしなかった松本が、その世界では水を得た魚のようにやること全てがうまくいった。特に地上げでは当時バブル絶頂期だった事もあり、一財産築いた事もある。また売春の斡旋も手がけ、女を見る目も随分と利くようになった。
口も立ち、やくざの組同士の抗争を弁舌だけで納めた事もあるほどだ。様々な仕事を経験している事もあって、知識も浅いながら豊富で、やくざの顧問のようなことをしていた事もある。度胸もあり、命をねらわれた組員をかくまってやったり、逮捕されそうな幹部には偽のアリバイの証人になったりした。そんな松本に恩義を感じているものも多く、足を洗った今でもその名前は裏世界に轟いていた。
そんな松本が一度だけ、どうにもならない事態に追い込まれたことがあった。大麻の取引に手を出した際、当時使っていた唯一の部下に仕入れ用の金を持ち逃げされたのだ。
特に懇意にしていた組に助けを求め、探させたがいっこうに見つからない。しかし取引の日は迫ってくる。自暴自棄になって飲んでいたところで知り合ったのが近藤だった。
近藤は松本の事情を知っても動じることなく、必要な資金を用立ててくれた。後で聞いたら自分に同じ匂いを感じたからだという。これも後で知ったのだが、近藤は松本と同じ大学を出ており、二年先輩だった。
何はともあれ無事取引は完了し、松本はメンツを潰さずに済んだ。メンツの問題だけでなく取引が成立しなかったら命も危なかったかも知れない。
後に金を持ち逃げした部下も見つかり、取り返した金で近藤に返す事も出来た。聞いた話だとその後その部下は半殺しにされた後、おもりを付けて海に沈められたという。
それを機に松本は裏世界から足を洗い、近藤の世話になることになった。人に使われることを嫌う松本の性格を見抜き、近藤は別会社インターマーケッティングを作り、松本をそこの社長にした。
近藤の読みは当たり、松本は十分すぎるほど近藤の期待に応えた。お陰でYKコーポレーションの店舗管理部門の人員を半分に出来た程である。
松本も任された店舗に関しては全ての権限を与えられ、時間にも束縛されないという仕事の形態が性に合い、仕事に充実感をもてるようになった。収入も安定し、BMWを転がせるような生活が出来るまでになった。それも全ては近藤のおかげであり、松本は近藤を師と仰ぎ、忠誠を誓った。
しかし辛酸を舐めた自分に対して、近江は事務所ティップの代表取締役に収まり、華やかな芸能界に身を置いている。新しい生活を始めた今でもその事には腹の虫が治まらなかった。
そんなある日、たまたま近藤から美菜子についての話を聞かされ、考えたのがティップのタレントを拉致して陵辱を加え、使い物にならなくする事だった。ティップにはモデルも十数名在籍しているが、実際は小向美菜子を筆頭にしたタレント四人の役割が大きかった。それが使えなくなればティップは業界での信用を失って、ガタガタになると言うのか松本のもくろみだった。
ウェイターに声をかけられ、松本は回想を断ち切られ、ハッと我に返った。
「済みません、そろそろ閉店の時間なのですが」
そう言われて見回してみると、もう誰も客は残っていない。
「ああ、これは済まない」
松本は立ち上がるとレジで代金を精算し、店を出た。時計を見ると既に十二時を回っている。
九月に入ったというのに、夜になってもまだ吹いてくる風が生暖かい。
松本は睡魔が襲ってくるのを感じた。
久しぶりだったから疲れちまったのかな。少し寝ていくか。
松本は運転席に座るとシートを倒し、目を閉じる。
後三人相手にしなくちゃならんのだから、少し体力を付けておかないといかんな。
そんなことを考えながら、松本は眠りに落ちていった。
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